先日髪を切ってきました。これから涼しくなるというのに坊主頭に近いくらいにバッサリと。
これまでも短髪とちょい長めを行ったり来たりしてきましたが、歳も歳なんでちょっと密度も気になってきたしこれからは短髪で行こうかなと思ってます。
で、家に帰っていろんな時間帯にいろんな角度で自分の頭を見るとですね、前はこんなに地肌見えてなかったのに、って思うんですよ。
たぶん気にしてるのは自分だけなんでしょうけど。
実際のところ夏の間に日焼けしてない地肌が白いせいで目立つ、というのもあるとは思います。
潔くと思ってた割に気にしてる自分がいてはっと気づいたことがあります。
この薄毛を受け入れる、っていうのは「老化」という「変化」を受け入れるってことなんだなぁと。
「変化」なんです。
そう思ったときに、世の中にあまたいる”薄毛へ必死に抵抗している”方たちは「変化」に戸惑っているのではないかと。
「髪を増やしてかっこよくなりたい」「薄毛はみっともない」とかではなく今までと違う自分の登場に戸惑い、不安をいだいている。
もっといえば間違いなく「死」へ近づいている生命体であることを否応なしに意識させられている、という。
だから今までの自分を保とうと必死にその変化に気づかないふりをしているんじゃないかと。
きっとある一定数はそうだと思いますよ。
明らかにそれとわかるカツラの人も。
恐るべし、薄毛。
私の場合そのうち坊主にするつもりでいたし、必死に抵抗するつもりなんて毛頭ありませんが。
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